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06/19 2025

《連載》いっ休さんのSHORT SHORT 「ドSどすえ」

京都・祇園の路地裏にある料亭風のこぢんまりとした店。ここがSM茶屋「志波゛き(しばき)」だ。
創業は文久元年。坂本龍馬、伊藤博文、渋沢栄一など、数々の偉人たちがこの店に通っていたという。
もちろん一見さんお断り。本来なら取材もNGだが特別に許可をいただき、常連のAさんとともに訪れた。

格子戸を開けると、上品なお香の香りがほんのりと漂い、奥からは男の悲鳴やうめき声が聞こえてくる。
「おこしやす」
三つ指をついて出迎えてくれたのは志波゛きの8代目女将・えつ乃さん。真っ黒な和服に身を包んだ姿は、妖艶な未亡人のようだ。

まずはお茶が出てくる。一口飲んだ瞬間、とてつもない苦味が舌を突き刺し、思わず咳き込んでしまった。この地獄のように苦いお茶を、Aさんは顔をゆがめ涙を流しながら一気に飲み干す。間髪を入れずに女将が
「もう一杯どうどす?」
「っ……! ありがとうございます!」
出された2杯目を、Aさんは悶絶しながら喉に流し込む。手が震え、服や畳に飛沫が飛び散る。
「けっこうな……ゲホッ、お点前でした!」
「お口に合うてよろしおした。せやけど、優しいお人やねぇ。ようさん”お裾分け”しやはって……」
「申し訳ごさいません! すぐに拭きますので……」
「まあまあ……今夜は”鈴虫が鳴いてる”んやさかい……」
「はうっ!」
「しょうのない人……また”坊主”が”猪鹿蝶”どすか?」
「ありがとうございます!」
Aさんは悦楽の表情を浮かべているが、私には何が何だかさっぱり分からない。

「お連れのお兄はんはちっともお茶飲まはらへんけど……”お水”が合いまへんでしたか?」
いや、そういうわけでは……。
「それやったら”豆餅”でもどうどす?」
ありがとうございます、いただきます。
「あら、すんまへん。豆餅は切らしてますの……。代わりに”窓の雪”でも見とくれやす」
雪? 今、6月ですよ?
「そうかて、”清水さんの舞台”からは”五重塔”がよう見えますやろ?」
はぁ、そうですか。

隣に座るAさんは女将の言葉一つ一つに「はうっ」「あはぁっ」と反応しているが、私にはちっとも分からない。
「お兄はん、さっきからうちの言葉責めに顔色一つ変えはらしまへんなぁ。こら相当の手練れらしおすなぁ……。ほな一つ、”胡蝶”と行きまひょか?」
「な、何だって! いきなり”胡蝶”を! なんて羨ま……恐ろしい!」
Aさんが顔を紅潮させながら声を張り上げる。
女将が障子を開けると、そこには狭いながらも見事な日本庭園。真ん中にはししおどしが置かれているが、水が流れていないため微動だにしない。
女将はおもむろに立ち上がると庭に出て、ししおどしの先の方をすっと押し下げる。そのまましばらく何もせず、ただこちらに向かって微笑みかけてくる。Aさんの吐息がどんどん荒くなる。やがて女将がぱっと手を離すと、ししおどしはカコ〜ン!と大きな音を響かせる。途端にAさんは身をよじりながら「はうあぁっ」と叫ぶ。
また押し下げる。手を離す。カコ〜ン! 「はううっ!」 押し下げる。離す。カコ〜ン! 「んはあぁっ!」 その様子を、私は唖然として見守るしかなかった。
やがてAさんはよだれをダラダラ垂らしガクガク震えながら頭を下げ、
「けっこうなお点前で……ございましたぁ!!」

志波゛きは来月、160年あまりの歴史に幕を下ろす。創業以来の伝統的な責めが、ごく一部の常連以外には理解できなくなったためだという。

プロフィール
春風亭いっ休
落語家 

この文章を書くために色々調べたせいで、スマホの検索予測がえらいことになってしまった31歳男性です。

絵:得地直美