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07/02 2025

《連載》いっ休さんのSHORT SHORT 「引越し蕎麦」

taken by KICHENMINORU

住んでいるアパートから1週間以内に出て行けと言われてしまった。そんな急に出て行けなんて、まったく横暴な大家だ。ただ自分の部屋の中で《ロケット花火100本に一斉点火してみた》という動画を撮っていただけなのに。

ともかく、大急ぎで不動産屋へ行くと、近くに良い物件を見つけることができた。しかし今は3月。どこの引越し業者に電話しても、そんなにすぐには手配できないとのことだった。

途方に暮れて近所を歩いていると、電柱の貼り紙が目に入った。

《引越し承ります 更科庵 電話03ー○○○○ー○○○○》

半紙に墨で書かれたその貼り紙は、引越し業者の宣伝にしては奇妙だなとは思ったが、ワラにもすがる思いで電話すると、明日、作業に来てくれるという。やれやれ助かった。家に帰って、細々としたものを箱詰めし終わった頃には、すっかり夜が更けていた。

翌日。

「ちわー。更科庵ですー」

やって来たのは、自転車に乗った蕎麦屋の大将だった。

「トラック? んなもん要らねえよ」

そう言って大将は、家の中のものを外に運び出して、縦に積み上げていく。一番下に冷蔵庫。その上に洗濯機。たんす。本棚。段ボールを8箱。そして一番上に小さなサボテンの鉢植え。見上げるほど高く一直線に積み上がった家財道具一式。それを大将はヒョイと右肩に担いで、左手で自転車のハンドルを握り、

「じゃ、先に行ってますから」

2階建ての家よりも高くそびえる家財道具を担いで、サーっと自転車で去り行く大将の背中を見送って、私はしばし呆然とするしかなかった。

私が新居に着いた頃には、大将は一切合切を家の中に運び込んでくれていた。

「なぁに、あんなの大したことありませんよ。あっしは蕎麦屋ですから。蕎麦の出前で鍛えてるんでね。あれぐらい担いで自転車で運ぶなんて、たやすいもんですよ」

「時代の流れですかね。お客さんが減って蕎麦屋だけじゃやっていけなくなって、引越し業も始めたんです。でも、あくまでも本業は蕎麦屋ですから。うちの蕎麦、食べに来てください」

後日、食べに行った更科庵の蕎麦は、信じられないくらいマズかった。

プロフィール
春風亭いっ休 落語家 

2ヶ月前に引越しして、いまだに部屋の中に荷解きしていない段ボール箱が5つある31歳男性です。

絵:得地直美